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ベトナム戦争における、SEALの火器達
・一般編・

 

 

 

 

 

 

 

COLT M16A1

1957年に、アメリカのフェアチャイルド社アーマライト事業部にて、 ユージン・ストーナー が開発した 突撃銃 。


  同社 AR10 のミニチュア版で、部品には当時主流の木製部品を一切使用せず、鉄とアルミ、プラスチックで構成されている。

使用弾も7.62mm弾ではなく、高速小口径の5.56mm弾(M193)を採用し、軽量かつ携行弾数に優れるため、1962年にアメリカ空軍の警備用銃として、

M1ガーランド の替わりに導入された。前後して製造及び販売権は コルト 社に移譲されている。
  直後に勃発したベトナム戦争開戦直後では採用を見送られたが、当時アメリカ陸軍が採用していた M14 がジャングル戦に不都合である事が判明。

早急にM14に替わる主力銃の選定が開始され、空軍と、軍事援助として供与を受けていた南ベトナム軍で評判の良かったM16が目を付けられ、制式採用された。

COLT XM177E2

 

XM177は、1966年にアメリカ陸軍が特殊部隊向けに限定配備した 突撃銃 である。

 ベトナム戦争時代、アメリカ軍SOG(Special Operations Group)などの特殊部隊は、任務の性格上、

M16 の様な全長の長い銃では取り回しが悪いため、より小型のライフルを要望した。そこで コルト 社が用意したのが、

M16をベースに全長を切り詰めた「M607 CAR-15 Submachine Gun (SMG) 」と呼ばれるモデルである。

しかし、銃身長を半分にまで切り詰めたこのモデルは、激し過ぎる発砲音やマズルフラッシュなど、

必要とされる特殊作戦にはむしろ極めて不向きという欠点を有していた。

 そこでコルト社は、長く大型のフラッシュハイダーを装備させることでこの問題の解決を図った。

このモデルは「M609 CAR-15 Commando」と呼ばれ、現在のものに近い伸縮式ストックと、リブつきの円形ハンドガードを有していた。

スタイル面でいえばM16系ショートモデルの スタンダードを築いたモデルであろう。

アメリカ陸軍はこのモデルにテストナンバーの“X”ナンバーを与えて試験採用した。これが「XM177」である。

XM177の仮名称は、戦後も名前が定着したのかそのまま公称となった。 一方、アメリカ空軍では本銃を、

エアクルーの護身用サバイバルガンとして「GAU-5」の名で制式採用している。

後に、戦場で得たデータをもとに、銃身の延長やコルト製XM148 グレネードランチャー を取り付け可能とするなどの改良が加えられた「XM177E2」が登場している。

 

 

 

Ithaca Model M37

 

1937年 に完成。 弾薬 を装填するローディングゲートと 空 薬莢 を排出するエジェクションポートを共通にする事で

フレーム 開口部を下部だけとし、その分肉厚を薄くする事で軽量化に成功。当時最も軽い散弾銃だった事から「フェザーライト」と呼ばれた。

これは当時、ショットシェルが 厚紙 製であった事から横殴りの 雨 の中でも 銃 の内部に 水 が入り込んで シェル が濡れ、

火薬 の吸湿による不発や 紙 の膨張による弾詰まりが起きるのを阻止する狙いがあった。それゆえの信頼性の高さが買われ、

その後長きに渡って 警察 の車載用ショットガンとして使われ続けた。 ベトナム戦争 では 南ベトナム解放民族戦線 の

トーチカ や 地下 トンネル 内の 戦闘 に重宝された事でも有名である。勿論、 狩猟 や スポーツ 射撃 、自宅 警備 用など、民間用としても ベストセラー となった。

 

 

 

COLT M1911A1

コルト・ガバメントの原型は、ジョン・ブローニングの手で1898年頃に開発された自動拳銃である。この銃はコルト社で生産化され、.

38口径の「 M1900 」として市販化、いくつかの派生型が生産された。

可動バレルと、バレル全長を覆う重いスライドで反動に対処するブローニング式の ショートリコイル 機構は、完成度の高いシステムであり、

以後自動拳銃の決定的なシステムとして、枚挙に暇のない程の追従者を生んだ。

1911年 に アメリカ軍 に制式採用され、軍用拳銃としての制式名称「M1911」、のちに 1926年 に改良が加えられたものは「M1911A1」を与えられた。

その後 1985年 、後継となる ベレッタM92F が制式採用されるまで、実に70年以上にわたってアメリカ軍の制式拳銃であった。

今なお、一部の特殊部隊では改造されつつ使用され続けている。

 




M19 60mm 迫撃砲

M19迫撃砲は、M2迫撃砲の後継として設計され1942年に制式採用された。

初期型のM19迫撃砲は砲身に形状の単純なM1マウントが付いているだけで仰角は砲身を支える人間の手で調節するなど、兵士1人で運搬と射撃

が可能なように設計されていた。又、M2迫撃砲同一の砲弾を使用しながらも、M2迫撃砲と違って、装填すると自動的に射撃するだけでなく、装填

後に引き金を引くことで射撃することも可能であった。しかし命中精度があまりにも低かったため、アメリカ軍では兵士からは使用を拒否されるほど

に嫌われていた。そこでM19迫撃砲の砲身に底盤と二脚を装着可能とするM5マウントを新たに制式採用することで一般的な迫撃砲のように運用

できるようになり、M2迫撃砲と比較して命中精度は高くなったが重量が増加した上に射程距離はむしろ短かったため、M19迫撃砲の生産は少数に

止まりM2迫撃砲を更新するには至らなかった。M19迫撃砲の大半は廃棄処分されるか海外に売却・供与されたが、一部は米軍でM2迫撃砲と共

に朝鮮戦争やベトナム戦争で使用され、1970年代後半以降にM224迫撃砲に更新されて退役するまで活躍した。

M79 グレネードランチャー

1961年から アメリカ陸軍 に導入されている。1971年の製造終了までに約35万丁が生産された。

開発は、1951年からのNIBLICK計画の延長線にある。この計画は、 歩兵 に随伴した近接支援のために

40mmの弾薬を各種の火器で射撃し、 手榴弾 では遠すぎ60mm迫撃砲では近すぎる(最小射程距離より近い)

50〜300mの距離を埋める兵器を開発するものである。

この構想は、M79を経てUGLs(Underbarrel Grenade Launchers / 銃身下擲弾発射機)として

XM148 グレネードランチャー や M203 グレネードランチャー に引き継がれていった。

 

 

 

 

M72 LAW

1963年代から運用されている。当時としては、あらかじめ弾薬が発射器に装填された状態で支給される使い捨て兵器という

アイデアは画期的であった。 M72はベトナム戦争時代の兵器で、大部分は SMAW ロケットランチャー や M136 AT4 に更新された。

安価簡便なM72は登場当初より陣地や市街地に籠る敵や火点を攻撃する兵器として利用された。

運搬状態では、アルミニウムの発射器後部は ガラス繊維 強化プラスチック 前部発射器の中に収納されている。

この状態では、発射器は防水容器の機能を持ち、また弾薬の点火系列は遮断されて安全に運搬できる。

発射器前部には上部に 引金、照星、照門、下部に後部ガス噴射口カバーがつく。発射器後部には点火装置が設けられている。

後部を引き伸ばして展開すると、点火系列が接続され射撃 可能となる。一度発射器を展開すると、再び後部を収納して運搬状態に戻しても防水機能は戻らない。

弾薬は口径66mmの成形炸薬弾で、 PIBD信管 と弾道を安定させる6枚の翼がある固定弾である。

翼は弾底部にあり、ヒンジを介して前方に折り畳まれた状態で装填されている。300mm以上の装甲を貫通できる。

射撃姿勢は、肩に担ぐようにして発射する。照準は、25m毎の目盛がついた照星を照門から覗き込んで行う。

引金を引くと、弾薬に内蔵されている推進 薬が燃焼して約760℃のガスを後方に噴射し、ほぼ無反動で発射される。

後方危険地域は軸線後方の左右30°距離40mの範囲で、発射時にはこの範囲に高 温のガスを噴射する。

一度射撃した発射器は次弾の再装填はできず廃棄される使い切り式である。